引き寄せをやめて「行動」に切り替えたら変わったこと
仮説を立てて行動して結果を記録する、それだけを3ヶ月続けた。劇的じゃないけど、「変わった」が確認できた話。
引き寄せをやめて「行動」に切り替えたら変わったこと
引き寄せをやめた直後、正直すごく不安だった。朝のルーティンがなくなって、「これでいいのか」という感じがずっとあった。
引き寄せをやめようとしたとき、なぜか不安になりませんでしたか。私はなった。「委ねる」という感覚をいきなり手放すのが、思ったより怖かった。
でも同時に、ちょっと実験してみたいという気持ちもあった。
もし今も引き寄せを続けるか迷っているなら、この話は判断材料になると思います。
最初の2週間、落ち着かなかった
ルーティンをやめた翌朝、何をすればいいかわからなくて、ぼーっとしてた。アファメーションもビジョンボードもない朝が、思ったより空白だった。
「これで本当にいいのか」「スピリチュアル やめた後に悪いことが起きるんじゃないか」という不安が、最初の1週間ぐらいは普通にあった。コミュニティで「スピをやめると好転反応が来る」と聞いてたから、何か起きるたびに頭の隅でそれを考えてしまってた。
2週間ぐらい経って、ようやく「別に何も起きない」という感覚が来た。当たり前だけど、それがちゃんと体感として確認できるまで時間がかかった。
正直、これが一番大きかった。少なくとも「やめたら悪くなる」という前提は崩れた。
やったこと:仮説→行動→記録
シンプルなことだけやろうと決めた。「こうすればこうなるはず」という仮説を立てて、行動して、結果をメモする。それだけ。
最初に選んだのは仕事。「週に2回、上司に進捗を先出しで報告したら、評価が変わるか」という仮説。波動とか宇宙とか関係なく、行動量と結果の相関だけを見ようとした。
結果は、思ってたより地味だった
2ヶ月後、上司からのフィードバックの質が少し変わった。劇的な変化じゃない。でも「変わった」というのは確認できた。
引き寄せのときは、結果をどう解釈するかが曖昧だった。「少し変わった気がする」が「波動が一致し始めた」にも「まだ足りない」にもなれた。今回は「週2回報告した→フィードバックが変わった」という事実として残せた。その差が、思ったより大きかった。
仮説が外れたときの話
もうひとつ試したのが、飲み会を断り続けて集中時間を確保したら成果が変わるか、という実験。3週間やったけど、あまり変化がなかった。
失敗したとき、「なぜ失敗したか」を考えられましたか。引き寄せをやってた頃の私は、正直あまり考えられなかった。「波動が低かったから」という答えが先に来て、それ以上掘れなかった。
行動ベースで試したこのとき、「なぜ外れたか」を考えられた。飲み会じゃなくて、集中の質に問題があったのかもしれない。作業量じゃなくて、やることの選び方に問題があったのかもしれない。次の仮説が立てられる。
失敗から学べる構造と、波動のせいにする構造では、長期的な差は相当大きいと思う。これは断言できる。
変わらなかったこともある
妊活は、行動で解決できる話じゃなかった。医療的なアプローチをして、経過を見て、それ以上は自分でコントロールできない部分がある。
そこに関しては、引き寄せをやめてもスッキリしたわけじゃない。ただ、「波動が足りない」より「自分にできることとできないことがある」の方が、気持ち的には少し楽だった。理由はうまく説明できないけど。
コントロールできない領域を「波動の問題」として処理し続けるのが、実はしんどかったんだと思う。「できないことがある」と言える方が、諦めじゃなくて、ちゃんと事実を見てる感じがした。
行動ベースで気づいたこと
行動ベースで動いてから、自分の「変化への解像度」が上がった気がする。
引き寄せをやってた頃、自分が変化してるかどうかを、感覚でしか測れなかった。「なんかいい感じがする」「まだ変わってない気がする」の繰り返し。今は、記録に残った変化が「変わった」の根拠になる。
仮説が外れたとき、次の一手が見えた感覚はありましたか。私はそのとき初めて、「自分で試行錯誤できる」という手応えが来た。引き寄せをやめた、というよりスピリチュアル 卒業という感じがしたのは、たぶんそのタイミングだったと思う。
ただ、行動するのはしんどい。引き寄せには「委ねる」というラクさがあって、それを手放すのはそれなりにエネルギーがいった。委ねることをやめた分、自分で動かないと何も変わらないという責任が戻ってくる。それが最初は重かった。
次に読む
行動を変えてみて、次に気になったのが「もう少し体に近いところから変えられないか」ということだった。
引き寄せ やめたあとの習慣として、まず体から変えてみた話を次に書きました。
まず体に働きかけてみた、という話